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【お便り】発達障害の私の中学生時代と高校進学後の話

30代中盤の独身男性、発達障害当事者です。

自身の体験についてお話していきます。

発達障害の私が中学生だったころ

先手性の発達障害は27歳のときに診断が下り、サラリーマンとして職場を転々としていました。

しかし

  • 人間関係の不和
  • コミュニケーションの失敗
  • 要領の悪さ

などで定着できず、現在は障害者年金をもらいながら在宅ワークをして生活しています。

障害者手帳、障害者年金ともに2級であり、日常生活でもまだ自分を管理しきれないところがあります。また話し声が良くなく、対人関係が不得手で自身でもかなり重い物と捉えております。

 

発達障害の影響が非常に重く出たのは中学生になってからで、北海道出身でしたが父の転勤で神奈川に転校したところからでした。

北海道から来たということで珍しがられ、

  • 奇異な目で学校中から見られたうえに、
  • 私は非常に早口で声が小さく、
  • 話をしようにも会話が通じず、

対人面の苦手意識が強くなってどんどん孤立していきました。

 

さらに、それに追い打ちをかけるように、中学2年からクラスのボス的な生徒と取り巻きにイジメを受けました。

担任も両親もその解決には手を貸してくれず、母に涙ながらに訴えるも、

「高校進学すれば周りが大人になってイジメはなくなるから」

とばかり言っていました。

発達障害の私が中学生から高校進学へ

発達障害 中学生 高校進学

幸い(皮肉でもあるのですが…)中学生時代の勉強の成績は良く、高校進学は市内で偏差値2位の県立高校に進みました。

受験については、中学3年の秋から市内の塾に通って、授業と模試を受けて勉強しました。

しかし今思うと、ある意味両親も自分も何も考えていなかったこの進路は、失敗であるほうが大きいと思います。

 

中学生時代にあったイジメは、クラスの人間が変わりながらも、高校に入っても続きました。

自分の席順で後ろの生徒がいわゆる「ドキュン」であり、暴言や恫喝がしょっちゅうでした。

さらに、私は相変わらず早口で会話が通じず、クラスで孤立していき、男女ともに嫌われていました。

 

英語の授業でペアを作るときはいつも自分だけペアが作れず、一人で先生と作業をしていました。

結局、高校進学しても人生は転機に変わることはなく、友達もできない恋愛や思い出もないというまま三年間を過ごしました。

高校進学から大学そして就職へ

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ここでもまた皮肉なのですが、文系の科目だけは成績がよく、文系三科目受験で私立の都内の六大に進学、学歴の面ではエリートになりました。

さすがにイジメはされなくなりましたが、サークルに入ってもすぐ悪い噂を広められたり、人望が育っていないため仲間づくりができず、人間関係を構築しようとしてはつまづく、という負のサイクル。

当時発達障害が原因だとわからないまま、

「自分は呪われた人間なんだ」

と思い込んで繰り返していました。

 

就職はあまりうまくいかず新卒で中小企業の営業になり、仕事が要領よくできず、パワハラや長時間残業で精神を病みました。

その後転職して総務職になり、そのときにうつ病の治療で通っていた心療内科で発達障害の診断が下り、上司と相談してこのときは円満に退職しました。

 

その後障害者雇用として働きましたが、結局うまくいかず、最初に書いたとおり在宅ライターを職業にしています。

発達障害の人間として現在に生まれたことは非常に不運ではありますし、年金と小遣い稼ぎ程度の在宅ワークではあまりお金に自由がなく、

「普通のサラリーマンみたいに稼ぎたい」

と思うことも時折あります。

しかし、幸い両親や友人などからは理解してもらえているため、今では精神障害者である自分を受け入れて生活しています。

 

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